やぶ医者、土手医者と古今東西を問わず、医者の悪口には事欠かないが、おもしろいのに手遅れ医者と言うのがある。御存知ない方に紹介すると、患者を診てすぐに「手遅れだ」と診断する医者の事である。医学の医の字を忘れてしまっても、この事さえ忘れなければ、名医の誉れ高く、繁盛まちがえない。患者が助からなくても、黙って座ればぴたりと当たる見通しの良い名医である。間違って患者が治ってしまっても、手遅れで助からないはずの病人を救ったのだから、文句を言う患者はいるはずもなく、これもまた名医の評判疑い無しである。
これは、勿論、落語の世界の話であるが、なぜこうなるのか考えてみると、都合の良い責任転嫁の結果である事がわかる。初めから理由もなく最悪の診断を言い渡しし、それより結果が良ければ医者の手柄、結果が悪ければ手遅れになってからきた患者に責任があると言う論である。
責任転嫁の術には色々の変法がある。毎日通えば1ヶ月で治すと約束し、1ヵ月たって治らなければ日曜日に来なかった患者が悪いと言う手もある。有名スポーツ選手の足関節脱臼骨折を1週間で治したり、全ての病気を背骨をまっすぐして治してしまう人のいる世の中だから、このくらいはかわいいのかも知れない。
逆に下手に責任をとると、名医にはなれない。昔、先輩から診断書には、合併症無ければとか、見込みと言う言葉を忘れるなと教えられた。かならずとか、100%と言う言葉は使ってはならないと教えている。その内に、運が良ければとか、かもしれないと言う言葉を忘れるなと教える事になるだろう。名医と呼ばれたければ、大は手術の結果から、小は何時頃入院できるかと言うことまで、責任をとるような発言は慎まなければならない。
昔は、「お任せしますので、宜しくお願いします」と言う言葉は医者の耳に心地よく響いたものである。「最善を尽くしますので、お任せ下さい」と言う言葉は患者に安心感をもたらしていた。しかし、善くも悪くも、これらの言葉は過去の遺物に成りつつある。
最近、インフォームド・コンセプトと言う言葉がはやってきた。訴訟社会である米国からの輸入品だが、よく説明して、患者やその家族の納得を得た上で、治療法などを決定すると言うことである。しかし、医者がよく説明して、患者が納得した後、誰が決定とそれにともなう責任を受け持つことになるのだろうか?
以上の文章は1990年、45歳の時に書いた駄文だが、少しは変わったのだろうか。
コメント